演題名 血液透析患者におけるPSAと前立腺癌の臨床的意義
演者名 友愛クリニック
 四宮敏彦 廣瀬 悟 金 成洙 下山博身
学会名 埼玉中部透析療法懇話会
開催日 2001年12月
開催地 大宮
 私たちは、本年2月に広範な転移を伴う前立腺癌の一例を経験しました。そこで、前立腺癌の早期発見を目的に血中PSA値を測定し、臨床的意義を検討したので報告します。

注:
 PSAは前立腺特異抗原(PSA:Prostate Specific Antigen)のことで、1979年Wangらにより発見された糖蛋白です。主に前立腺上皮細胞で産生され、精液の液化を促しています。
 PSA血中濃度は前立腺癌患者で上昇することから、前立腺癌の腫瘍マーカーとして汎用されています。また、治療の効果判定や経過観察の指標としても利用されています。
 症例は72歳の男性です。1999年11月下旬より、39度に達する発熱、全身関節痛および腰痛が出現しました。著しい炎症反応から、病巣不明ながらも感染症と診断し、抗生剤(CMZ 2g/日)を開始しました。これにより炎症反応は改善しましたが、腰痛は持続しました。そこで、某院整形外科を紹介したところ、L1の圧迫骨折を指摘されました。その後、発熱と著しい炎症反応が再燃し、肝機能障害を併発したため、2000年2月10日、埼玉医科大学総合医療センターに入院しました。入院後、種々の検索にもかかわらず、感染症の病巣は特定できませんでした。3月6日、病棟トイレにて心停止の状態で発見され、病理解剖が行われました。
 剖検所見を示します。スライドに示すように、後腹膜、椎体、および大腿骨と広汎に転移した前立腺癌が認められました。直接死因は、心筋虚血によるpomp failure(心不全)もしくは続発した心室性不整脈と考えられました。
 腰椎X-P像ですが、L1(第1腰椎)に圧迫骨折が認められます。また、大動脈に著しい石灰化を認めます。
 MRIですが、同様にL1の圧迫骨折を認めますが、原因を特定できる情報は得られません。剖検所見で述べたように、この症例の死因は前立腺癌と直結しませんが、広汎に転移した前立腺癌を生前診断できなかったことは、反省すべき点と考えました。近年、PSAが前立腺癌の優れたマーカーとして汎用されています。そこで、博友会の全施設で維持透析中の男性患者を対象にPSAを測定しました。
 対象は60歳以上の男性患者112名で、平均年齢は69.5歳、平均透析期間は80.4ヶ月です。
 PSAは0.1ng/mlから9836ng/mlまで、広い範囲に分布していました。中央値は1.3ng/mlと一般男性と変わらず、透析患者においても、血清PSA値は補正なしに評価できると思われます。
 PSAのヒストグラムを示します。正常域である4ng/ml未満は92名(83%)、グレーゾーンと称される4〜10ng/mlは12名(11%)、前立腺癌が疑われる10ng/ml以上は7名(6%)でした。この比率は、一般検診の比率とほぼ同様です。
 血清PSA値と年令の相関を示しますが、有意な関連は認められませんでした。
 PSAが8ng/ml以上を呈した11例を示します。直腸診(Digital Rectal Examination, DRE)の精神的および肉体的負担を考慮して、8ng/ml以上を精査の対象としました。DREにて硬結など陽性所見が得られた場合は、基幹病院にて経直腸的前立腺生検を行いました。その結果112名中3名(2.7%)が前立腺癌と確定診断されました。
 40歳以上の一般男性を対象とした前立腺癌検診では、1%前後が前立腺癌と診断されます。今回の診断率はやや高率な印象を受けますが、対象年齢が69.5歳と高いことが影響していると思われます。
 また、PSAが10ng/ml以上では7名中3名(43%)が前立腺癌で、10ng/ml未満では癌を強く疑う患者はいませんでした。このことから、透析患者にも一般的なPSAの評価法を当てはめることができると考えらます。
 Stage Cの2症例はホルモン療法を、骨転移とリンパ節転移を認めたStage D2の症例は除睾術とホルモン療法のMAB(Maximum androgen blockade)が施行されています。
 ここ数年、本邦でも血液透析患者における前立腺癌が、しばしば報告されています。しかしながら、その疫学的・臨床的意義は必ずしも明らかでありません。
 一般男性の疾患別年齢調整死亡率です。年齢調整死亡率とは、各年の人口構成を1985年の人口構成に補正して、10万人あたりの死亡数を表したものです。グラフを見ると、脳血管障害や心疾患は減少していますが、悪性腫瘍は横ばいの状況です。一般的な死亡率では悪性腫瘍は増加していますが、これは高齢化が強く反映しているためです。
 スライド左に悪性腫瘍全体、右に前立腺癌の死亡率を示します。悪性腫瘍の死亡率は前述した理由から増加していますが、前立腺癌の死亡率は、この20年で約4倍に伸びています。前立腺癌増加に関しては、食生活の欧米化により実際に増加しているという説や、経直腸的超音波断層法やPSAの導入により診断技術が単に向上した結果とする説があり、解釈が難しいところです。
 一般男性における前立腺癌の年齢階級別死亡率です。60歳以上より著しく増加しており、前立腺癌は高齢者の癌という認識に誤りはありません。
 透析患者における年齢階層別の死因を示します。悪性腫瘍による死亡は、60歳から75歳が最も多く、その後は心不全や感染症が大半を占めるようになります。
 左に一般男性と女性、右に透析患者における悪性腫瘍の年齢階層別死亡率を示します。厚生労働省と透析医学会の年齢階層が異なりますが、60歳前後までの死亡率は、一般人口も透析患者も大きな違いはありません。しかし、75歳以降では明らかに一般人口での死亡率が高く、90歳以上では約2倍の開きになります。すなわち、高齢透析患者は一般高齢者に比べて、悪性腫瘍で死亡する確率が低いということになります。
 左に一般男性、右に男性透析患者における悪性腫瘍の分類を示します。一般男性の前立腺癌は性器の大部分すなわち3%弱ですが、透析患者は個別の統計がないため不明です。男性透析患者の腎・泌尿器は一般男性の尿路・性器の2倍ですが、年齢構成が異なるため、単純な比較はできません。
 スライドに前立腺癌の自然経過を示します。スエーデンにおける疾患特異的15年生存率で、前立腺癌以外の死因を除いて算出したものです。皮膜内癌の15年生存率は80%に達し、きわめて良好な予後を示しています。
 本邦における5年生存率を示します。疾患特異的ではありませんが、A1や A2の早期癌であれば、予後は非常に良いことがわかります。
 このように、前立腺癌は加齢とともに増加する癌で、他の癌に比べて成長が遅く、予後がきわめて良好な癌です。このことから、早期癌に対する早期治療が必ずしも延命効果をもたらすとは限りません。PSAは前立腺癌の容積や拡がりとよく相関し、高値では被膜外に浸潤した大きな癌、低値では被膜内に限局した癌である頻度が高くなります。PSAのグレーゾーン4〜10ng/mlでは、臨床症状がなく治療しても延命効果が得られない、いわゆる臨床的意義のない癌が6%含まれるという報告もあります。現在、早期前立腺癌に対するwatch and seeの可否をめぐって欧米で大掛かりな臨床トライアルが進行中です。
 前立腺癌の危険因子と透析患者における状況を示します。まず、年齢に関してですが、透析患者は高齢者集団であることから、前立腺癌が発生する頻度は高いと考えられます。以前より前立腺癌と血中テストステロン値との関連が注目されていますが、一般に透析患者では血中テストステロン値は低く、危険因子とはなりえません。しかし、エリスロポエチン投与により血中テストステロン値が上昇するという報告も散見されます。また、本邦の前立腺癌は欧米の約1/5と少ないことが知られています。テストステロンは、前立腺組織内で5α還元酵素によりジヒドロ・テストステロンに変換され、これが癌を増殖させると考えられています。この5α還元酵素の欠失患者では前立腺癌の発生がなく、日本人は5α還元酵素活性が低いことが、罹患率が低い一因と考えられています。透析患者における5α還元酵素活性に関しては、報告がありません。他の危険因子としてαリノレン酸がありますが、これは赤みの肉に含まれます。透析患者はタンパクを制限されており、血中αリノレン酸値は低いことが予想されます。
 多くの透析患者は無尿で、前立腺癌の自覚症状が出現しにくいことから、PSA測定は前立腺癌の発見に有用と考えられます。事実、博友会では112名中3名(2.7%)に前立腺癌が発見され、治療を受けています。しかし、これらの患者が治療により延命効果が得られるかは、本日提示した症例や統計からみて、定かではありません。前立腺癌はきわめて緩徐に進行することから、全ての早期癌患者に必ずしも根治治療が必要とは言えません。特に、高齢の透析患者では悪性腫瘍死に比べて心不全や感染症死が多く、前立腺癌の早期発見が全ての透析患者に恩恵を与えるとは限りません。今後は、PSA測定の対象年齢や測定費用の経済的問題なども含めて、透析患者のPSA測定を考えていきたいと思います。
文責 廣瀬 悟
   
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